【中絶体験談】出生前診断は必要?胎児の先天性心疾患が発覚した私の決断

2018年9月に妊娠20週で胎児の先天性心疾患と18トリソミーの疑いを指摘され、中期中絶を受けた私の体験談です。胎児の障害を伝えられたときの気持ち、中期中絶の費用と流れ、手術後の生活、出生前診断への考えなどをつづりました。同じような経験をされた女性の参考になれば幸いです。

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目次

  1. 三度目の妊娠。赤ちゃんの異常が発覚
  2. 胎児の障害を伝えられたときの私の気持ち
  3. 胎児の障害を伝えたときの家族の反応
  4. 出生前診断を受けずに、中絶を決断
  5. 中期中絶の費用
  6. 入院から退院まで
  7. 退院後の生活
  8. 同じような経験をした女性へ
  9. あわせて読みたい

三度目の妊娠。赤ちゃんの異常が発覚

我が家には現在、小学1年生の長男と3歳の次男がいます。三人目の妊娠が判明したのは私が30歳のとき、長男が小学校に入学したての春でした。妊活をしていたわけではなかったので思わぬ妊娠に驚きましたが、新しい命を授かったことが嬉しかったです。

妊娠18週頃に女の子ということがわかり、子どもたちを含め家族全員が長女の誕生を心待ちにする日々でした。

妊娠20週で先天性心疾患が発覚

お腹が目立ち始め、胎動をたくさん感じるようになった妊娠20週。かかりつけの産院で妊婦健診を受診したときに、先生の様子がいつもと違うことに気が付きました。いつもなら2、3分で終わるエコー検査がやけに長かったのです。先生はお腹の赤ちゃんが映し出されたモニターを無言で念入りに見つめていました。

検査が終わると、先生から「今日は赤ちゃんの向きが悪く、心臓が見えにくかった。明日ちょうどこの病院に心エコー専門の先生が来るので、もう一度受診してください」と言われました。

基本的に楽観的な私は、「赤ちゃんの向きが悪かったからエコー検査が長かったのかぁ」と納得し、翌日の予約を取って帰宅しました。長男と次男をトラブルなく産んでいることもあり、お腹の中の長女に問題があるかもしれないという発想には至りませんでした。

しかし翌日の検査終了後、心エコーをしてくれた先生の口から長女の心臓にいくつもの疾患があることを聞かされました。

先天性心疾患の詳細

左心室と右心室を分ける壁に大きな穴が開いていること、左心室から始まるはずの大動脈が右心室から始まっていること、下半身へ血液を運ぶ大動脈の一部が欠損していること。先生は長女の数々の心臓の異常を一つひとつ丁寧に説明してくれました。

さらに、週数に対して身体が少し小さいこと、大腿骨が少し短いことを指摘されました。これを聞いたとき、「染色体異常」という言葉が私の頭をよぎりました。率直に尋ねると、先生は「そういった可能性も視野に入れなければならないかもしれません」と答えました。

そして、心臓以外に問題がないか、大きい病院で長女の全身状態を詳しく見てもらうことを提案されました。近くの大学病院に、胎児のエコー検査に関して日本でトップラスの腕を持つ有名な先生がいるとのことでした。看護師さんがすぐに手配をしてくれ、翌日に大学病院を受診することが決まりました。

私はだんだんと事態の重大さに気づき始めました。

18トリソミーの疑い

大学病院でのエコー検査はとても長く、1時間は超えていたような気がします。長いエコー検査が終わると、先生が話し始めました。先の診断通りいくつもの心疾患があること、耳の位置が低いこと、指が不自然に重なっていること。そしてこれらが18トリソミーという染色体異常の子によくみられる特徴だということを説明されました。

先生が「質問はありますか」と言ってくれたので、私は「先生の所見では、染色体異常の可能性はどれくらいありますか」と聞きました。「かなり高いです」という言葉がすぐに返ってきました。次に、「もし染色体異常ではなかった場合、心疾患は手術をすれば治りますか」という質問をしました。

先生は言いづらそうに、「心疾患も、かなり重篤です」と答えました。そして、「18トリソミーだった場合、18トリソミーの子には心臓の手術をしないという方針の病院も多いので、手術ができる病院を探さなければなりません」と続けました。

胎児の障害を伝えられたときの私の気持ち

先天性心疾患を伝えられた直後の私は、前向きな思考を維持しようと必死でした。「心疾患は手術をすればきっと治るはず。まだ30歳だし、染色体異常の可能性は低いはず」と自分に言い聞かせながら、スマホで何度も心疾患と染色体異常について検索しました。

先天性心疾患があっても手術を受けて回復した子の情報を集めて、心を落ち着けたかったのです。

産むか、産まないか

大学病院からの帰り道、私の中で初めて「産むか、産まないか」という選択が頭をもたげました。

どんな障害があっても、生まれてみればかわいくて仕方がないでしょう。だからこそ、我が子が幼くして死んでしまうことに私は耐えられるのだろうか。今、中絶という選択をしたほうが、私や家族の心の傷は浅く済むのではないか。

でも、赤ちゃんは今も私の中で元気に動いている。私たちの子どもとして確かにここに存在している命を奪うことはしたくない。親としてできることを最期までしてあげるべきではないか。さまざまが考えが頭の中をめぐりました。

家族にとって何が幸せか

障害のある子を生むことが、長男と次男にどんな影響を与えるのかも気がかりでした。重度の心疾患の子を抱えながら長男と次男をちゃんと育てることができるのだろうか。寂しい思いや我慢をさせることも、きっとたくさん出てくる。今まで通りの生活はさせてあげられない。

お腹の中の長女を含め、私たち家族にとって何が幸せか。その問いに正解はないのかもしれません。それでも、結論を出さなければなりませんでした。

胎児の障害を伝えたときの家族の反応

夫は戸惑いながらも私の気持ちを尊重してくれた

病院へは私ひとりで通っていましたが、検査の結果や先生から言われたことはその都度、夫へ報告していました。夫も私と同じく最初は楽観的でしたが、大学病院で「18トリソミーの可能性が高く、心疾患も重篤」と言われたことを伝えた後は、戸惑いを隠せないようでした。

今回の件に関して、夫は私からどんな報告を聞いても助言や提案はしてきませんでした。「私がどうしたいか」を最初から最後まで尊重してくれました。

泣く私をみて子どもたちは

中絶を考えるようになってから、私は子どもたちの前でも涙がこらえられなくなっていました。泣いている私を心配した長男と次男が、「かーちゃん、なんで泣いてるの?」と聞いてきたとき、初めて子どもたちにお腹の赤ちゃんに障害があることを話しました。

「お腹の赤ちゃんに、心臓の病気があるんだって」と伝えると、小学1年生の長男は「じゃあ、病院で治してもらわなくちゃいけないね」と言いました。私は「そうだね」という一言しか返せませんでした。3歳の次男は何も言いませんでしたが、長男と私の会話をじっと聞いていました。

「治らない病気かもしれないんだよ」「ずっと病院から出られない子になってしまうかもしれないんだよ」そんな言葉が頭に浮かびましたが、口に出すことはできませんでした。

出生前診断を受けずに、中絶を決断

羊水検査について繰り返し検索したけれど

上の子たちを妊娠したときにも「お腹の子が障害を持っていたらどうしよう」と考えたことはありましたが、同時に「私はまだ若いし、大丈夫だろう」とも思っていました。三人目の先天性疾患が診断されるまで、「出生前診断」や「人工妊娠中絶」は自分にとって縁遠い言葉だったのです。

妊娠20週で18トリソミーの可能性を指摘されてから、私は人生で初めて羊水検査を受けることを考えました。スマホに「心疾患 羊水検査 陰性」などのキーワードを入れて繰り返し検索しましたが、自分が欲しい答えはなかなか見つかりませんでした。

中絶を選択した一番の理由は

夫婦で話し合い、私たちは「羊水検査を受けずに中絶する」という結論を出しました。染色体異常がなかったとしても、重い心疾患を持った子が生まれれば長男と次男の生活に負担がかかってしまうということが一番の理由でした。

お腹の中の長女は、まだこの世に生まれる準備が整っていなかったのかもしれない。中絶という選択ができるこの時期に病気が発見されたのは、神様が長女の忘れ物に気づかせてくれたのかもしれない。長女が忘れ物を取りに戻って、私たち家族と0からやり直すチャンスを与えてもらったのかもしれない。

全て都合の良い想像でしかありませんが、そう思うことで自分の迷いを断ち切るしかありませんでした。

中絶を決断後、すぐに入院の手続き

妊娠12週を過ぎた中絶は中期中絶と呼ばれ、通常の出産と同じように入院し、陣痛をおこして赤ちゃんを娩出しなければなりません。「死産届」の提出や火葬も必要となります。

私が中絶を決めたとき、すでに妊娠20週を過ぎていました。人工妊娠中絶ができるのは法律上、21週6日までです。先生に中絶を決意したことを伝えると、すぐに手術の同意書が渡され、3日後に入院をすることになりました。

入院するにあたって病院から指示をされた持ち物は、パジャマ、生理用ショーツ、生理用ナプキン、洗面・入浴道具の4つのみでした。上の子たちの出産で入院するときは、赤ちゃんの肌着やガーゼをワクワクしながらかばんに詰めたなぁと思い出し、悲しくなりました。

中絶の場合でも肌着やおもちゃを用意し、一緒に火葬をしてもらうこともできるようですが、私はそういった用意はしませんでした。余計に悲しくなってしまう気がしたので、なるべくシンプルに見送ることにしたのでした。

中期中絶の費用

手術費と入院費を合わせて約47万円

中期中絶手術は、4~5日程度の入院を必要とします。私は5日間入院し、病院へ支払った金額は約47万円でした。手術費用に加えて食事代やベッド代などの入院費用もかかるので、40万円以上になることが多いようです。この費用は病院によって違い、10万円以上の差が出ることもあります。

同じ病院であっても妊娠週数や入院日数、薬の使用数などにより費用は増減するので、実際の金額は退院するまでわかりません。私が手術を受けた病院では、入院時に43万円を保証金として納め、退院時に差額の精算をするという決まりでした。

火葬の費用

病院に支払うお金の他にも、火葬の費用がかかります。中期中絶を行っている病院はほとんど、死産届の提出や火葬手続きなどを請負っている葬儀屋さんと提携しています。私は病院が提携している葬儀屋さんに手続きなどを一任し、4万5千円を支払いました。

葬儀屋さんに頼まず、自分たちで死産届の提出や火葬、供養の手配を行うこともできますが、その際の費用は1万円前後が相場のようです。

健康保険と生命保険について

中絶費用は基本的に全額自己負担ですが、妊婦の生命が危うい場合など、医師の判断によって手術をする場合は保険が適用されたり、生命保険の対象となったりすることがあります。私のように胎児の障害を理由に中絶を選択した場合は「自己都合による中絶」なので、保険の適用はなく生命保険の対象にもなりません。

ただし、中期中絶は出産手当金や出産育児一時金の支給対象です。申請書を持参して先生に記入をお願いし、健康保険に申請することができます。私が手術を受けた病院は、中絶手術では出産育児一時金の直接支払制度が利用できなかったので、退院した後に健康保険へ申請をしました。

入院から退院まで

入院日当日はひとりで病院を訪れました。案内された病室には4つのベッドがありましたが、他に入院患者はいなかったので一人部屋のようなものでした。妊産婦さんとの相部屋も覚悟していたので、病院の気遣いがありがたかったです。

入院1日目。中期中絶の開始

中期中絶は、人工的に子宮口を開いてから陣痛をおこし、赤ちゃんを娩出する方法で中絶をします。そのため、ラミナリアやラミセルといった水分を吸収するとふくらむ棒を腟内に入れて子宮口を開くことから始めます。

入院してすぐに処置室へ呼ばれ健診台に上ると病院の副院長が来て、ラミナリアを7本挿入されました。入院前に中期中絶について調べた際、ラミナリアの挿入がとてつもなく痛いという体験談がいくつも出てきたので覚悟はしていましたが、まさに激痛でとてもつらかったです。

処置が終わると激痛は止み、副院長から「ラミナリアを挿入し子宮口を広げているので、これから生理痛のような鈍痛がおこります」という説明を受けました。実際にその後すぐ下腹部と腰に鈍痛を感じるようになりましたが、普段から生理痛が重い私には気にならない程度の痛みでした。

ラミナリアが入っていると入浴もシャワーもできないという制約はありますが、それをのぞけば特に不便なこともなく、トイレも普通にできました。この日は他に処置もなく、夕食を食べて処方された抗生剤を飲み、就寝しました。

入院2日目。ラミナリアの痛み

2日目は午前と午後に1回ずつラミナリアを入れ替える処置がありました。朝食後、昨日挿入したラミナリアを抜き、新しいものを11本挿入されました。

昨日とは違い院長が処置をしてくれたのですが、器具の動かし方が雑で、子宮の奥を何度も槍で刺されるような痛みに冷や汗が大量に出ました。時間も長く、30分以上健診台に乗ったままで、本当に地獄のような時間でした。

ラミナリア挿入時の痛みには個人差があり、「ほとんど痛みを感じなかった」という方もいれば「気絶するほど痛かった」という方もいます。私は後者で、「ラミナリアの処置に比べたら本陣痛のほうがマシ」と思うほどのつらさでした。

午後の処置は昨日と同じ副院長だったので、少し安心しました。午前中のラミナリアを全て抜き新しく17本入れましたが、院長の処置に比べると痛みもだいぶマシで、15分程度で終わりほっとしました。

処置中に破水をしたため、抗生剤が飲み薬から点滴に変わりました。破水後も下腹部の鈍痛が強くなることはなく、普通に食事をとり就寝しました。

入院3日目。人工死産

3日目は子宮を収縮させる腟錠を入れて陣痛を起こし、順調にいけば午後には娩出をするという予定でした。

朝食後に処置室へ行くと、副院長がラミナリアを全て抜き腟錠を入れ、子宮口の開き具合を確かめるための内診をしました。内診もかなり痛かったのですが、ラミナリアの痛みにはおよびませんでした。もう二度とラミナリアを入れたくなかったので、早く陣痛が来ることを祈りました。

祈りが通じたのか、腟錠を入れてから30分しないうちに、強い痛みを感じるようになりました。さらに1時間ほどすると痛みが規則的になってきたので間隔を計ると、2分ごとに痛みの波が来ていました。ナースコールを押して副院長に内診してもらうと、もうへその緒が出てきていると言われ、すぐに分娩室へ移動しました。

分娩台に上ってから2回強い陣痛の波が来ると、副院長が「児、娩出」と言って長女を取り上げ、へその緒を切りました。すぐに陣痛が止みました。産声はなく、いつ亡くなったかもわかりませんでした。その後は全身麻酔の点滴が入ったので記憶はありませんが、胎盤など子宮に残った付属物の掻爬手術が行われました。

全身麻酔から覚めるとすでに病室で、どこにも痛みはありませんでした。仰向けのままお腹を手で触って、長女がいなくなったことを確認しました。空っぽになったお腹に涙が出てきて、夜もほとんど眠れませんでした。

入院4日目。300gの我が子と最後のお別れ

4日目は長女の遺体を葬儀屋さんに引き渡す日でした。看護師さんに、「赤ちゃんと面会する人もいるし、しない人もいるよ。記憶に残るものだし、面会しないまま引き渡しても大丈夫だよ」と言われましたが、私は面会を希望しました。

看護師さんがスニーカーが入っていそうな大きさの白い箱を病室へ持って来てくれました。そして「10分したら取りに来るね」と言って、長女とふたりだけの時間を作ってくれました。箱の中の長女にはガーゼがかかっていました。ガーゼを外すと長女は仰向けで寝ていて、おへその上で両手を重ねていました。

とてもきれいな状態で、手足の指も5本ずつあり爪も生えていました。とても小さいけれどちゃんと人間の姿をしていて、長男の寝顔に似ている気がしました。「ごめんね。また会おうね。またうちにおいでね。今度は忘れ物をしないで来るんだよ。みんなで待ってるよ。」声に出して長女に話しかけながら、また泣いてしまいました。

10分後看護師さんが長女の入った箱を取りに来て、そのまま葬儀屋さんに引き渡されました。死産届などの手続きも葬儀屋さんへ一任していたので、手続きが終わった後に死産届と死産証明書の写しをもらいました。その書類を見て初めて、長女の体重が324gだったことを知りました。

入院5日目。退院の日

5日目は退院予定の日でした。朝食後、9時くらいに先生が病室へ回診に来て、子宮の戻り具合などをチェックしてくれました。順調に回復しているとのことで、午後に退院できることが決まりました。看護師さんから退院後の注意事項の説明を受け、経過を見るために3週間後に外来を受診してくださいと言われました。

夫に退院の許可が出たことを連絡し、車で迎えに来てもらいました。病室を片付け、お世話になった看護師さんにお礼を言い、会計処理を済ませて自宅に帰りました。

退院後の生活

退院の際に病院から、退院後の過ごし方や注意事項が書かれた紙をもらいました。内容は、以下のようなものでした。

・悪露は血性から茶褐色になり、白っぽいおりものに変わり、1ヶ月でほとんどなくなります。

・次の診察で医師の許可が出るまで入浴はせず、シャワーのみとしてください。

・家事や近所への買い物は1週間くらい経てばしても良いでしょう。ハードな仕事やスポーツ、旅行などは生理が再開するまで避けましょう。

・性交渉は生理を一度確認して終わるまで控えたほうが良いでしょう。

・手術後9日目ごろから妊娠する可能性がありますが、生理が順調でないときに妊娠しても流産の可能性が高くなります。

・妊娠を希望する場合は手術後2ヶ月以上、もしくは手術後きちんとした生理が2回あってからが良いでしょう。

口頭の説明だけだと自宅に戻った後確認できないので、注意事項をまとめた紙をもらえたのはありがたかったです。この紙を読む前は「退院したらすぐにでもまた妊娠をしたい」と思っていましたが、流産してしまうことを避けるため、生理が2回終わるのを待つことにしました。

普段の生活に戻るまで

退院後1週間はなるべくソファやベッドで身体を休めていましたが、保育園のお迎えだけは誰にも頼ることができなかったので、退院3日後から自分で行きました。1週間を過ぎたあたりから料理や洗濯を少しずつ始めました。動きすぎた日は悪露の量が増えたので、悪露の量を見ながら徐々に家事の範囲を広げるようにしました。

長男と次男の育児もあるのであまりゆっくりはできませんでしたが、精神的には入院前よりも安定していました。もちろん長女のことを思い出すと悲しく、申し訳ない気持ちになり落ち込みます。けれど、なるべく前向きな気持ちで生活をすることが次の妊娠・出産への近道だと考えるようにしました。

退院から3週間後の診察も問題なく終わり、湯船に浸かる許可も出ました。もし2ヶ月経っても生理が来ないようなら受診するようにとのことでした。この日から家事や買い物を完全に再開し、普段通りの生活に戻りました。

周りへの報告

私は中絶をしたことを、私と夫の両親や親しい友人などごく一部の人にしか話しませんでした。ママ友や近所の人など、私が妊娠していたことを知っている人はたくさんいましたが、「赤ちゃん、ダメになっちゃったの」とだけ伝えることにしました。障害のある子どもが身近にいる可能性があると思ったからです。

長男と次男にも「赤ちゃんは死んじゃったんだよ」とだけ伝えています。障害や中絶について説明をすると学校や保育園で話してしまうかもしれないので、詳しく話すのはもう少し年齢が上がってからにしようという風に決めました。ふたりとも妹ができることを楽しみにしていたので、とても残念がっていました。

次の妊娠へ向けて

私は中絶を決めたときから、また妊娠をしたいと思っていました。「次は長女を元気な姿で産んであげたい」という気持ちが強かったのです。自分の意思で中絶を選択したのに、身勝手な考えかもしれませんが、そう思わずにはいられませんでした。

この記事を書いている今はちょうど手術から1ヶ月が過ぎたあたりですが、まだ1回も生理は来ていないので、妊活は始めていません。今後妊活を始めても、妊娠できるまでに何年もかかったり、このまま2度と妊娠することがなかったりする可能性もあると思っています。

私たちの希望が叶うかはわからないけれど、今は長女がお腹に戻ってきてくれることを信じて、心身ともに健康でいることを心がけています。

出生前診断の検討

また妊娠できたときに出生前診断を受けるかどうかは、まだ決めていません。ですがもし出生前診断を受けるとしたら、染色体異常の有無の確定診断ができる絨毛検査や羊水検査を受けたいと思っています。

新型出生前診断(NIPT)やクアトロテストなど出生前診断は他にもありますが、絨毛検査と羊水検査以外は全て、「確率」や「可能性」がわかる非確定的検査となっています。

私が長女を妊娠したのは30歳のとき。30歳の母親が染色体異常の子を出産する確率は385分の1といわれています。何百分の一の確率でも何千分の一の確率でも、「一」に該当する人が必ずいるという事実を実感しました。そのため、出生前診断を受けるのであれば、必ず確定診断を得たいと思っています。

絨毛検査や羊水検査は決して安い金額ではありませんし、流産を引き起こすリスクもあります。妊婦健診で異常が特に認められなければ、出生前診断を受けないという選択をするかもしれません。もしまた妊娠できたら、夫や医師と話し合ってじっくり考えたいと思います。

同じような経験をした女性へ

私がこの体験談を書こうと思った理由は、同じような体験をした女性や、中絶しようか悩んでいる女性に私の経験を情報のひとつとして共有してほしかったからです。なるべく鮮明な記憶や感情を伝えたかったので、手術後あまり時間が経たないうちに書かせてもらいました。

長女の先天性心疾患が発覚したとき、中絶を決意したとき、ラミナリアの痛みに苦しんだとき、私はスマホでいくつもの体験談を検索して読みました。同じような経験をしたママたちの言葉を目にすることで、いろいろなことに対して心の準備ができ、「つらいのは自分だけじゃないんだ」と思うことができました。

この体験談が、今悩んでいたり苦しんでいたりする女性の気持ちを整理するお役に立てれば幸いです。

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