「妊娠33週の時ってみんなはどうしてるの?」先輩ママの体験談をアンケート大調査!
ままのてユーザーの先輩ママに、妊娠33週の時に体験したことを聞いてみました。
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目次
体験談その1:「切迫早産で入院ギリギリ!」(30代)
約一カ月前から、子宮頸管が短くなってきており、要注意と言われており薬が出されていました。妊娠33週2日での健診では、子宮頸管の長さがついに2.2センチに!私がお世話になっていた病院では、2センチを切ったら即入院という事になっており、入院まであとちょっとという所まできてしまいました。上の子がいた為、入院はしたくなく焦りました。
しかし、時々おなかの張りがある事も自覚していた為、決められた通りにきちんと薬を飲み、極力上の子の抱っこを控えて、一緒にお昼寝するなどなるべく安静にして生活しました。でも上の子もまだ小さく、お風呂やご飯で椅子に座らせるなど、どうしても抱っこが必要になる事も多く、そんな時は必ずと言っていいほどお腹が張っていたので、とても不安になりました。
体験談その2:「切迫早産、もう産んでしまいたい。」(20代)
切迫早産で入院中に妊娠33週を迎え毎日ベッドの上で安静にする日々でした。胎児は2,000gを超えたくらいで胎動も有り順調に育っていました。
子宮の張りが非常に強くあり入院以来、子宮収縮抑制剤を24時間点滴していましたがそれでも張りが1時間に1度か2度張るので点滴の量はどんどん上がり33週でついに最大投与量一歩手前の3アンプル39ml/hourになっていまいましたが。33週4日で10分間隔の張りがあり急遽内診してもらうと子宮頚管が12㎜で子宮口が1㎝開いていました。
収縮抑制剤を最大の3アンプル40ml/hourにしましたが収まらず更に強い収縮抑制効果のあるマグネシウムの点滴もすることになりました。そして入院していた病院は小児科がなかったのでNICUがある大きな病院に転院することになりました。母体緊急搬送でした。筋力弛緩をさせる薬なので副作用で全身の力が入らないし点滴が入っているところは血管が痛いしもう産んでいいですかと言いたかったです・・・。
NICUってことはちっちゃく生まれてもそこに入ればいいんだよね!?だったらもう点滴やめていい?そう転院した病院の主治医に訴え点滴の量を減らして貰いました。33週6日でした。副作用も軽くなり明日で34週だし、NICUもあるし「赤ちゃんもう生まれてきてもいいよ・・・」と安心した気持ちで33週最後の日を過ごしました。
体験談その3:「一人での時間が悲しくなってくる。」(20代)
妊娠を期に仕事も辞めて、最初は悠々自適な生活をしてきましたが、そろそろ飽きる時期です。1日何をするわけでも無く私は動画サイトで動画を見ていました。見る内容は子供に関することで、妊娠・出産・沐浴の方法・病気の子供・養子縁組・医療などが多かったです。どれを見てもまだ見ぬ我が子と重ね合わせて涙が出てきました。夫も残業続きで帰りが遅く、一人でひたすら見ていました。
しかし「涙活」という言葉があるように、涙を流すことでとてもスッキリとした気持ちになりました。動画は無限とあるので飽きることなく見ることが出来ました。子供が産まれたらこんな事がしたいと思いを膨らませたり、こんな出産もあるんだと勉強になりました。こんな動画を見る時間も子供が産まれたら無くなるので大事な時間だと思いました。
体験談その4:「周りに甘えながらも、働かせてもらっていました。」(20代)
妊娠33週頃は、私はまだ仕事を続けていました。胃の痛みやムカムカするといった症状が出ていたと思います。福祉の仕事をしており、利用者さんを支えたり更衣の手伝いをしたりと、肉体的に、かなりきつい状態でした。そして、施設内で胃腸炎や風邪が流行っており、妊婦の私にとっては、うつりたくないという思いでいっぱいでしたが、仕事上、隔離というわけにもいかず、手洗いうがい、消毒を心がけて何とか感染することなく乗り越えました。
ほかの職員の人たちも気を遣ってくれて、重たいものを運ばなくていいようにしてくれたり、といった配慮をしてくれましたが、それが逆に申し訳なさなどを感じてしまい、仕事のしずらさを感じたときもありました。妊婦の時だけは甘えさせてもらおう、と気持ちを切り替えて出産予定日6週間前まで働きました。
体験談その5:「体重の増えすぎにご用心ください。」(30代)
そろそろ出産間近のため会社を退職し、入院準備やら実家でだらだらしていました。それまで健診では体重について特に言われたことがなかったのですが、33週目あたりから急激に増加傾向に。赤ちゃんはそこまで増加していないので、全部自前のお肉です。このままの状態で増えると増えすぎですよとお医者様にくぎをさされるようになってしまいました。
思えば通勤の際は、時短勤務ということや、電車が気持ち悪くて乗る時間を減らしたいということで1~2駅歩いて通勤をしていました。また、お昼御飯も忙しい合間で食べるので、おにぎりと野菜スティック等簡単なものを摂取。ところが退職してからも散歩はしていたものの、食事の時間はあまるほどあるので食べたいものを食べたいだけ摂取。太るべくして太ったのです。ネットで妊婦向けの低カロリー食品おからや春雨のレシピを検索して自炊し、結果なんとか標準体重におさめることができました。
体験談その6:「つわりも落ち着き、楽しい時期です。」(20代)
優先席に座れたりするので外出は楽になりました。性別が決定したので服を買いだしたり楽しかったのは中期ですね!悪阻も落ち着くし!
ただ、逆子ちゃんだったので左下向きに寝るのが辛かったです。毎回健診で気にしていましたが逆子が早くなくなれーって思いながらもおしっこの時間が近くなりトイレは頻繁に。ひたすらお腹蹴られるから辛いです。疲れやすくなるのでお風呂に入らないまま〜とかもよくありました。なのでカンジダにもなりました。塗り薬も必要な事も多かったです。後期でも血液検査があり貧血が出たのでしっかり薬は飲みました。ただ、それを飲むと気分が悪くなるのでゆっくり寝ているようにしました。うんちの出が悪くなるのも嫌でした。
体験談その7:「新婚旅行に行けました」(20代)
お腹の子は標準的な大きさで臨月直前でしたが、体調も良く身体に無理のないよう旅行に出かけました。福岡発北海道行でしたが、移動時間も苦にならず楽しい旅行でした。温泉にもゆっくり浸かって癒やされ、景色やグルメを堪能できたのは出産後の事を考えると正解でした。
普段も4時間ほどパートで働いていたため、安定期をバリバリ活動的に過ごしていました。個人差はあると思いますが、動けるうちは自分の好きなことをした方が精神衛生の面でも良いのではないかと思います。
話が逸れますが、お腹の大きさからこの時期からお風呂の掃除をするのが苦しかった記憶があります。かがむ動作が大変になり、普段の生活で不安を感じていた点と言えばここだけでした。
その8:「逆子が戻って一安心」(30代)
二週間くらいの間逆子でした。医者に指示された逆子を戻すポーズを暇を見つけてはやっていました。右側を下にして横たわるだけですが。そのポーズをとると胎動が激しくなって、お腹の赤ちゃんが戻りたい戻りたい、頭を下にしたいよーと言っているかのようでした。もう少し逆子のままだったら帝王切開になってしまうと怖かったのですが、33週の時の健診にいったら赤ちゃんの位置が戻っていてほっとしました。あまり、赤ちゃんが戻った瞬間というのはよく分かりませんでした。
お腹が大きくなって、胸の圧迫感が苦しくなってきました。少し歩いただけでも息切れしてばかりでした。逆子だった時は膀胱をよく蹴られて、しょっちゅうトイレに行きたくなってしまいました。
その9:「赤ちゃんが下がってくるようにしっかり動いて!」(30代)
9か月となる33週には、もう仕事も産休に入り、里帰り出産のため実家で特にやることもない日々でした。産後はできなくなる一人時間をなるべく楽しめるようにと、読書やDVD見放題などをしていましたが、病院からこの時期からはもういつ生まれても良いので、しっかり動いて赤ちゃんが下がってきやすいようにしてと指示がありました。そこで家が田舎なので片道30分はあるコンビニを歩いて往復したり、家の床を雑巾がけしたりして運動量を意識的に増やすようにしていました。
また寝る前にはマタニティヨガを一通り行って股関節をほぐしたり、出産時に向けて腹式呼吸の練習をしたりしていました。浮腫も酷かったので、両足を壁に沿って上げて休むことも忘れずにしていました。
その10:「逆子が治りました」(20代)
妊娠初期からずっと吐き悪阻は続きました。30週の健診時に逆子と言われ、それからは毎日逆子体操をしました。お尻を突き出すようなポーズをしながらテレビを見たり、右を下にして横になるといいと聞き、寝る時は常に右を下にして寝ていました。逆子になると胎動が感じにくくなるといわれましたが、私はみぞおちの辺りに強い胎動を感じていました。
ある日、同級生と、お腹の子と同級生になる子の親子と遊んだ際に、いきなり強い胎動を感じました。お友達がいることがわかったのかな?楽しいのかな?と思い、その週末の健診で逆子が治っていることがわかりました。きっと強く感じた胎動は、赤ちゃんがぐるんっと回転したときに感じたものでしょうとのことでした。逆子体操が効いたのか、お友達のおかげなのかはわかりませんが、逆子が治ってよかったです